2025年8月31日日曜日

アミーゴ

 ホテルでの朝食が秀逸であった。ビュッフェ形式で、新鮮なサラダ、甘いミニトマト、ミックス豆やドレッシングも素晴らしかった。ヨーグルトにはフルーツソースやベリーも。そして特産品のソフト大福もついていた。


朝食後、車で街中を走って時間を過ごす。まずは道立公園へ。水遊びをしたり、屋内遊具で遊んだり、デイキャンプなども楽しんだり。無料の素晴らしい施設で遊んだことや、チビたちのお別れ会を開いてもらったことが懐かしい。Makoはカーリングも習ったりしていた。チビたちの通っていた保育所は更地になって跡形もなかったが、学童保育園は現役だった。公園や神社、店舗、図書館などを巡り、記憶を思い起こす。どれも素敵な思い出である。振り返ってみると、子育てするのには素晴らしい環境だったと思うが、当時は必死だったので、そのありがたみを感じることは少なかった。


昼の時間帯をめがけて、隣町へ移動。第30回幌加内町新そば祭りへ。残念ながらこのお祭りは、人手不足やマンネリ化などにより、今年でファイナルを迎えることになるようだ。Naoが生まれた後、18年前の2007年にこのそば祭りへ参加している。その頃と比べても、規模もイベント内容も格段に大きくなっているようだ。駐車場も車でいっぱい、イベント会場も人で溢れかえっていた。さっそくイベント会場のステージ前に、持参したキャンプチェアーを設置して場所を確保し、お蕎麦を買う列に並ぶ。結局30分ほど並んで、とろろそばを購入。その他、焼き鳥やイワナの塩焼き、タコ焼きやエビのから揚げなどを購入して、イベントを眺めながらの昼食。


まずは途中からの「スコップ三味線ライブステージ」。津軽からの参戦で、みんな楽し気である。次は「桜庭 和 ライブステージ」。江別出身ということで名前は聞いたことがある。ジンギスカンのタレのCMソングなど聞き覚えがあった。次は「児玉 梨奈 ライブステージ」。高い声が楽器のようだ。次は津軽三味線の「Niya(忍弥)ライブステージ」。羽幌町焼尻島出身ということで、親近感がわく。津軽三味線で日本一になったこともあるという。クラブやライブハウスでも演奏活動をしているようで、伝統芸能の域を超えた新しい挑戦と、途中のMCもよかった。次は「上杉 周大 ライブステージ」。北海道のローカルタレントとしても有名で、ソウルミュージックを熱く熱唱していた。そしてメインイベントは、「鈴木 亜美 ライブステージ」。昨日の士別の舞台鑑賞から、当初は日帰りの予定だったが、このライブステージをどうしても見たいがために、一泊したのだ。


1998年にテレビの企画で歌手デビューし、小室ファミリーの一員として大活躍したアミーゴ。当時はCDも購入したりと好んで聞いていた。あれから30年弱経過し、アミーゴも43歳。「まぁ、年相応の」と思っていたが、登場したアミーゴは期待を大きく上回るオーラと、中田ヤスタカプロデュースのテクノサウンドに鳥肌。たまにバラエティ番組に出演したりしていたが、やはりアーティストとしての格は、先に登場したどさんこシンガーソングライター達とはレベルが違った。本物の最上級の音楽を堪能し、アミーゴロスが大きいが、大きなエネルギーが蓄積された感じである。

2025年8月30日土曜日

ノスタルジア

 市民参加劇「芝居で遊びましょ♪」に、相方の元同僚が出演するということで、10時頃に車で出発、士別に向かう。軽自動車での高速道路初走行となったが、加速時のエンジン音などは、必死のフル回転だが、車体は思った以上に安定しており、不安なく走ることができた。


昼の時間帯に絵本の里 けんぶちの道の駅に到着し、昼食。ここのレストランは入れ替わりが激しいが、カレー専門店になっていた。 チキンマサラとエビココナッツの2種のカレーを注文。本格のスパイスカレーで、美味しく食べる。テーブルには焙煎された「キヌア」が置いてあり、その説明書きを読む。キヌアは、ペルーなどの南米アンデス産の雑穀で、日本では「スーパーフード」として注目を集めているようだ。サラダやカレーに振りかけたりと、ゴマの代わりに使うらしい。一応カレーに振りかける。


あさひサンライズホールでは、市民参加型の演劇公演制作を2003年度から行っているが、財源措置の打ち切りにより、今年でラスト公演となる。過疎化によって人口と町の予算が減る中、演劇文化を創造、継承していく困難さがうかがえる。


演目は「かれこれ、これから」という作品で、高齢者のシェアハウスに住む男女が織りなす恋愛群像劇。地元でのオーディションでキャストを決めたせいなのか、登場した親子のどちらが親で子なのかなど、理解に時間を要したが、舞台装置や照明など技術と資金力の高さを感じた。


16時に終演し、本日宿泊する隣町へ移動。2006年から2014年まで8年間暮らした場所である。自身は引っ越ししてから仕事で毎年のように訪れており、直近は6年前にも仕事で来ているので、町の変化はそれほど驚きはしなかったが、相方は引っ越し以来11年ぶり。昔住んでいた公宅や、その近くの大学公園、人気のラーメン店など、小雨の中散歩する。公宅から一区画曲がったところに、食堂跡の建物があり、よく食べに行っていたことを思い出す。その時は全く思い出せなかったが、後からインターネットで調べると、「一なり食堂」という名前で、2019年までは営業していたようだ。丼ものやラーメンなど、赤いカーペットの座敷に座って食べたことを思い出した。


ホテルは街中なので、商店街などを歩いて夕食の場所を探す。よく通っていた居酒屋などは店名が変わったり、廃業したり。駅前の人気の菓子工房も、今年の2月に閉店してしまったようだ。店主が高齢となったことが理由のようだが、強面の店主とのやりとりなども思い出す。夕食は、居酒屋 炉ばたへ。炭火で焼き上げたお魚屋焼き鳥が美味しく、よく利用していた。ビールで乾杯し、焼きサバやジャンボ串などを注文。


 雨の中、2件目のバーへ。互いに2次会で毎度のことのように利用していたDIXIEというお店。むろん相方と2人で来るのは初めてだ。いつもお客で賑わっていたが、この日は天気が悪いこともあってか土曜というのに客は1組のみという状況。カクテルなどで乾杯する。チビたちが二人とも小学校に入ったりした頃は、街中のチェーン店の居酒屋やカラオケへ行ったりしたことも思い出しながら。


2025年8月23日土曜日

夜高あんどん

 本日は相方の祖父の三十三回忌法要。まずは空港まで義妹を迎えに行く。昨日法事用の服装の準備をしていたところ、ワイシャツが見あたらなかったので、空港の無印へ。しかしワイシャツはなし。しかしユニクロには置いていた。空港では何でもそろう。


途中、高速のサービスエリアで昼食。蕎麦を中心に注文したが、Naoはカレーを食べていた。食後には、北菓楼でソフトクリームを購入。Naoはシュークリームを食べていた。


法事会場のホテルへ到着し、さっそく着替えて準備や親せきとの挨拶。法事自体は45分程で終わった。会食まで1時間程度時間があったので、Naoと温泉へ。露天風呂から渓谷沿いを流れる川も見え、サウナと水風呂に入り、露天の椅子で外気浴をして気分爽快である。会食では、義弟が古いアルバムからつくったスライドショーをみんなで鑑賞した。昔の写真をみながら声があがる。先祖を偲ぶ素敵なスタイルである。


丁度、町内で夜高あんどん祭りが行われているということだったので、ホテルのバスで会場まで送ってもらう。人口3000人弱の町に、2日間で5万人以上があつまる一大イベントである。まだチビたちが生まれる前に訪れたことを記憶の隅に思い出す。(保存されている写真を確かめると2001年と2004年)大小合わせて十数基のあんどんが街中を練り歩き、最大の見せ場は大型あんどん同士の「ぶつけあい」。駅前の会場には多くの観光客が溢れ、40分程待機してその時間を待つ。事前にNaoには「ぶつけあいって言っても、先頭の部分を潰しあう程度で、あんどん自体を壊しあうわけじゃないからね」と保険をかけておく。その効果もあり、見終わったあと、それなりに満足していた。


十数年前のあんどんは、白熱球のランプをバッテリーなどで光らせていたと思うが、現在は、LED化で明るさが増したことにより、精巧な図柄や色合いも鮮明に照らされ、見ごたえが増している。この地域の夏の風物詩を十分に堪能した。

2025年8月17日日曜日

帰国

ソウルでのワーケーション最終日。共同冷蔵庫の中身を確認し、部屋番号の301のラベルのものがないかを確認する。「空港でブランチを」ということで、少し早めの8時に出発、仁川国際空港へ向かう。


パスポートチェックインをして座席を確定し、荷物を預ける。Naoは購入したカバンが免税対象になるということで、その手続きを行う。免税600円が払い戻された。空港の韓食レストランで、コムタンスープなどでブランチ。韓国グルメを食べつくした感じであるが、本場のチャプチェを食べ損ねた。


Makoとはここでお別れ。次に会えるのは4か月後だ。出国の手続きもすべて機械にパスポートをかざすだけ。前回の韓国旅行において、一番のトラブルとされる韓国スライム没収事件を思い出し、Naoに告げると、かなり照れていた。彼の黒歴史の一つである。


免税で戻ってきた6000ウォンで、お茶とお菓子を買い、機内に乗り込む。偏西風の関係で行きよりも早く日本に到着、入国手続きも税関もなんなくクリアし、楽しかった行程は終わりを迎えた。Makoのハングルがスムーズな旅行に大きな役割を果たし、韓国が「気軽にふらっと遊びに行ける場所」になった感じである。グルメはもちろん、歴史や民主主義についてなど、学びを深めることができた9日間となった。

2025年8月16日土曜日

オリグイ(鴨焼き)

いつもより少し早く7時過ぎに起床。まずは、ホテルからバスで一区間のところにあるタプコル公園へ。「3・1独立運動(万歳運動)」の起点となった場所で、公園内の八角亭前にて、独立運動家が集まり、独立宣言文を読み上げた場所である。公園内には独立運動に関連するレリーフなどがあったが、昨日の光復節で何かの集会を行っていたのか、公園内はゴミで溢れていた。また地元のお年寄りが朝早くから休憩などして集っていた。かるく見学。

本日のメインイベントのために南揚州(ナミャンジュ)へ向かう。ソウル市内から出ることになるので、電車を乗り継いだ途中で、ソウル市内だけで使える気候同行カードからtーmoneyカードへ交換。途中、バスの上下線を乗り間違えた際、Makoがスマホの位置情報ですぐに気が付き、バスを乗り換えるというトラブルがあったが、ソウルを出発して1時間半あまり、なんなく目的地であるチンミオリグイ(鴨焼き)の店へ。


この店も「隣の国のグルメイト」で紹介された店である。韓国ではカモ料理が一般的ということで、そういえば、光州でも「オリタン(鴨鍋)」を食べている。11時半にはついたが、席はすでに満席で、名前を書いて待機。30分程待って呼ばれた。ビニールハウスでつくられた別館と、冷房の効いた本館があり、Makoは「涼しい方」の本館を選んでくれた。


鴨焼き3〜4人前と、チゲ鍋、ビビン麺を注文。カモ肉は9割がた火が通った状態で、すり鉢に入れられて出てくるので、それを炭火で軽くあぶり直して、サンチュやニラをはさんで食べる。少し甘い味付けで、3〜4人前はあっという間に平らげた。すり鉢に残った汁がとにかく美味しいと、相方はスプーンで汁をすくって何度も飲んでいた。いつもは1本しか注文しないビールも2本注文する。こんなおいしい店が近くにあったら、通い詰めてしまうだろう。


韓国の人たちは店まで車で来ていたが、我々はバス移動。田舎のバス停でのんびり待つ。ソウル市内だと、電光掲示板やスマホのアプリで「あと何分で到着する」「いまバスはどこにいる」か表示されるが、さすがにこの田舎だと時間が読めず、15分ほどまってバスに乗り込む。


90分かけてソウルの聖水(ソンスドン)へ。工場倉庫跡地がおしゃれなセレクトショップへ生まれ変わった街で、Naoが肩掛けのカバンが欲しいというので3~4軒店舗を回って赤いカバンを購入。

メガコーヒー店でアメリカーのを飲み、オリーブヤング(韓国のヘルス&ビューティーストア)へ。相方は、顔パックやシワパッチと購入していた。


Makoがくるみ菓子(ホドゥカジャ)の美味しい店がソウル駅にできたということで、ソウル駅へ。駅前では、現大統領に批判的立場の親米保守派政治団体が集会やデモ活動を行っており、街宣車も通ったりと騒然としており、警察も取り囲んでいた。また、そのすぐとなりで、天理教の団体が街宣をし、その隣ではキリスト教系の団体がカラオケ集会をしたりと、表現の自由を謳歌していた。東京駅前では見るこのできない光景である。


くるみ菓子(ホドゥカジャ)は、韓国の伝統的なお菓子で、日本のベビーカステラが最も近い食べ物だ。カリっとした生地の中に餡が入っており、アンコ、ミルク、ずんだ、きなこ味を注文。どれも格別においしく、フードコートの席で夕食としてつまむ。


その後、ソウル駅のロッテショッピングマートにて、それぞれお土産買物を物色。ソウル物産コーナーで「日月五峰図(イルウォロボンド)のマグネットも購入する。日月五峰図は、王が座る椅子の後ろに掲げる屏風に描かれているもので、青い空を背景に、緑の山の峰が五つ並んでおり、白い月と赤い太陽が浮いている。それ自体が王を象徴する絵ということだ。


ソウル旅行のすべての日程場、Makoの添乗のおかげで無事に終えることができた、翌日はインチョン空港まで着いてきてくれるというので、Makoは自身の荷物をまとめて、相方と一緒に一旦寮へ荷物を運びにでかけた。今日一日は最終日ということもあり、元気のないMakoだったが、それもMakoらしくて。

2025年8月15日金曜日

光復節とカルグクス

8月15日、韓国では「光復節(クァンボクチョル)」と呼ばれ、日本の植民地支配からの解放を記念する祝日である。外務省のHPには、「8月15日の光復節などに際する日本関連デモ・集会に関する注意喚起」が発出され、「無用のトラブルに巻き込まれることのないよう注意してください」との情報が出され、Makoの下にはメールでの連絡もきていた。

8:30に起き、バス停へ向かう。が、ちょっと間に合わずに停留場からバスは出発してしまった。信号待ちしているバスに向かって「乗りたい」と合図を送ると、たいていは乗せてくれる。日本では珍しい光景である。

本日の勉強テーマは「大韓民国臨時政府」について。1919年、三・一独立運動の直後に結成された朝鮮独立運動の組織で、戦後、南北分断の中でアメリカ軍によって解体された。まずは、京橋荘(キョンギョジャン)へ。臨時政府の主席だった金九(キム・グ)の私邸跡である。また、金九が内部での対立によって暗殺された場所でもある。現在は、周囲を病院の建物によって囲まれており、臨時政府に関連する展示や応接室、執務室、寝室などが展示されていた。暗殺された際の銃弾のあとも残されていたが、本物かどうかは不明。

その後、隣の「敦義門博物館村」へ。韓国の伝統家屋である韓屋(ハノッ)や、日本統治時代の建物を改装したスポット。施設内の韓屋芸術工房「セシ食品研究所」で、デザートづくりを体験する。8月は桃を使った伝統的お菓子(ヤンギャング)づくりで、羊羹を温め直して、型に入れて冷やし、飾りつけを行う1時間ほどのコース。よい思い出作りである。

昼食は、近くの韓国料理チェーン店「キンパ天国」へ。いわゆる何でもあるファミレスだ。Makoはカルグクス、Naoはラーメン、そしてキムチチゲなどを注文。

午後は、国立大韓民国臨時政府記念館へ。文在寅大統領が就任前に大統領選の公約として掲げ、2022年に設立された新しい建物だ。韓国臨時政府については、日本ではあまり学ぶことがなく、韓国においても、「政治的正統性を継承するもの」であるという立場がある一方、その評価については政治の思惑によって濃淡があるようだ。民主主義の基本である議会の歴史についてなどの展示が主だった。また光復節ということもあり、様々なイベントも行われており、「私たちは韓国光復軍」というイベントでは、軍服姿の兵士と一緒に写真を撮るために列になったり、おもちゃのライフルをつくるというイベントがあったりと、日本ではあまりみられないものも多かった。


光化門の付近を通って次の目的地へ。夕方から行われる光復節80周年の大規模イベントのリハーサルが行われており、警察車両や警察官が並び厳戒態勢であった。バスを乗り継ぎ江南(カンナム)へ。


夕食は、「漢城カルグクス 論峴本店」。この店は、2025年にネットフリックスで放送されていた「隣の国のグルメイト(松重豊さんと、ソン・シギョンによる日韓グルメ番組)」という番組に登場した店で、今回の旅行の下準備に大きく影響された。開店より30分程早く着いたので、コンビニ前で時間調整して開店時間に店に行くと、すでに9割がた席は埋まり、ぎりぎり座席を確保できたと思ったら、直後から待ち行列ができるほどの大人気店であった。カルグクス(韓国風うどん)や茹で牛、卵たっぷりの海老チヂミを注文し、マッコリで乾杯する。牛骨からとった出汁による、あっさりした味のカルグクスで、ズッキーニのトッピングが美味しかった。


食後は、韓流スター通りを見学し、盤浦大橋(バンポ・デギョ)までバスで移動。ここは、日が沈むと橋桁から噴射される噴水ショー「月光虹噴水」が見られる場所で、漢江(ハンガン)公園の中でも人気の場所だ。日没まで時間があったので、2人乗り自転車を2台レンタルし、相方とNao組、自身とMako組で河川敷のコースをサイクリング。途中からペアを変えたり、写真撮影をしたりと楽しんだ。19:30の日没からは、噴水ショースタート。曲に合わせて水が噴射し、それがLEDライトで照らされ、幻想的な雰囲気で、ソウルタワーのライトアップと相まって、素敵な時間を過ごす。


バスを乗り継いでホテルまで戻る。帰りの車内で、光復節のイベントのライブ映像をスマホで眺める。ちなみに、この日、はじめて日本車を2台(ホンダアコード)見かけた。2015年からの日韓関係の冷え込みが影響し、2019年におこった日本製品不買運動によって、韓国では日本車を見かけることはほとんどない。


コンビニで飲み物を購入してホテルへ。このコンビニ「GS25」には、ほぼ毎日通い詰めた。

2025年8月14日木曜日

チムジルバン

この日もゆっくりと8:30に起きる。2日間雨にあたったが、ようやく雨が上がった、がまた気温が高くなるようだ。

南営洞(ナミョンドン)まで地下鉄で移動し、10時の開館に間に合うように、民主化運動記念館へ。今年6月10日に開館したばかりの記念館で、Makoはすでに訪れていた。軍事政権下の韓国で、公安警察が運動活動家を拷問した施設で、国家暴力の象徴とされた旧治安本部南営洞対共分室(通称南営洞)を改造してつくられている。1987年の民主化運動中に警察の拷問により亡くなったソウル大生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)さんの取調室が再現されており、見学していても恐怖が伝わってきた。旅行前に、『1987、ある闘いの真実』という映画で予習済みだったので、より重く深く伝わってきた。6·10抗争の起爆剤となった怒りも大きさも伝わってきた。別階では、「民主主義」について学ぶことができるコーナーがあり、かなり充実して学ぶことができる施設であった。


昼食は、近くのとんかつ店へ。韓国式のペラペラのとんかつを期待していたが、しっかりとした肉厚の日本式のとんかつで、普通の日本食を食べただけとなった。次の目的地までバスで移動、としたところ、交差点の前でNaoがカバンをガサゴソ。気候同行カードが無いと言い出す。Makoも一緒にすべてをひっくり返して探すが見つからず。朝に南営洞の駅を出た際に使用したのが最後なので、自身とNaoは南営洞駅を探しに行き、Makoと相方は民主化運動記念館を探しに行く。駅では見つからず、民主化運動記念館に向かうと、なんと、落とし物として預かってくれていた。熱で変形したカードはきちんと届けられていた。奇跡である。


無事にバス移動し、午後は植民地歴史博物館へ。日韓の歴史が分かる博物館で、大規模な博物館ではないものの、大変訪れる価値のある場所だった。とりわけ、昨年12月の戒厳令デモから、今年4月の尹錫悦大統領の弾劾・罷免までの特別展示もされており、「民主主義とは何か」をはっきりと感じることができる内容だった。博物館の外観についても、戒厳令デモの際に使われたポップな旗で覆う展示がされていた。対応していただいた受付の方が、日本語で書かれた展示案内のパンフレットを貸してくれたので、展示内容についてもよく理解できた。また、博物館の創立や運営に関わっている日本人の学芸員の方も挨拶してくれ、Makoの卒論の相談なども乗ってくれると言っていただけた。


「伊藤博文の次に嫌われている」とされている安倍政権時において、慰安婦問題や、徴用工問題、2018年のキャンドルデモについても展示されており、自身とのかかわりの深い金子兜太さんの揮毫(きごう)した「アベ政治を許さない」もラミネート展示されており、盛り上がる。ちなみに、前回韓国を訪れた際に、南山(ナムサン)公園に展示されていた、「記憶されない歴史は繰り返される」の文字も刻まれたモニュメントは親日をうたう保守派の尹錫悦政権によって、2023年に取り壊されている。歴史修正主義者と闘い、正しい歴史をどう認識し、記録していくか、民主主義が問われている。


予定では、この後「戦争と女性の人権博物館」へ行く予定だったが、もうお腹いっぱいということになり、本日の学習はこれまでとした。帰り道、行列のできる「ねじり揚げパン(チャプサルクァベギ)」の店があったので、買い食い。やわらかい揚げパンだった。


地下鉄で東大門(トンデムン)まで移動し、dundun というデパートでお土産ショッピング。チムジルバン(温浴施設)へ移動途中の交差点で、翌日に光復節を控えていることから太極旗の配布が行われており、それぞれ1本ずつ受け取る。


スパレックスグッドモーニングシティというチムジルバン(温浴施設)は建物の地下にあり、まずは、定番であるタオルの巻き方「ヤンモリ(羊の頭という意)」をMakoに指導してもらい、「羊巻き」で写真撮影。石窯式のサウナは様々な温度の部屋が設定されており、のんびりと汗をかく。食堂では、ラーメンなどの軽食が出されており、チムジルバンの定番である燻製卵とシッケ(韓国式の甘酒)を注文。シッケは予想以上に美味しい味わいだった。浴場は日本と一緒だが、シャンプーやリンスは用意されておらずに小分けのものを購入する銭湯スタイルで、男組は昭和風に石鹸ひとつで勝負する。


バスにのってホテルへ戻り、ホテル近くのチキン店でチキンとポテトを持ち帰り。ホテルのキッチンでインスタントラーメンをつくり、チキンとポテト、コンビニで買ったビールで「チャン(乾杯)」。

2025年8月13日水曜日

成均館(ソンギュングァン)大学

 今日からは、朝はゆっくりと。8:30に起きて、本日の最初の見学場所、韓国銀行貨幣博物館へバスを使って向かう。昨日、光州で降っていた雨が北上し、この日はソウルを直撃。時折スコールのような雨が降る。

韓国銀行貨幣博物館は、韓国中央銀行の建物をリニューアルした博物館で、日本人の辰野金吾さんが設計したとのこと。植民地時代は朝鮮総督府傘下の「朝鮮銀行」として、解放後は中央銀行として使用されていた。貨幣や金融の歴史が展示されており、社会見学に訪れた子どもたちで賑わっていた。建物の、「定礎」は伊藤博文が直筆したとのことで、これを撤去するかしないかで揉めたようで、結局撤去せずに歴史的記録として保存することになったとのこと。この「定礎」を雨の中、建物の周りを歩いて見つけることができた。

大雨の中、バスを乗り継いで、Makoの通っている成均館(ソンギュングァン)大学へ向かう。朝鮮王朝初期、1398年に最高位の国家教育機関として設立された大学で、 東アジアで最も古い大学ということ。バスから降りて大学の建物内に入る際が最もひどい豪雨で、笑ってしまうほどのスコールだった。無事に建物内に入り、まずは学食へ。Makoが普段使う方の学食ではないということだったが、今日のメニューを見てこちらの学食の方に決めたらしい。Makoおすすめのジャジャ麺を食べる。Naoは麺ではなくエビチャーハンに同じような餡がかかっているものを注文。付け合わせのキムチとたくあんが自由によそえるスタイルだった。

食後は、Makoの授業受けてる棟へ向かう。丘の上に建てられており、移動するのにもかなりの坂道を行き来しなければならず、大変だと言っていた。講義室なども覗かせてもらう。売店では相方が大学のトレーナーを買っていた。大学マグネットも購入。

コーヒーブレイクの後、学舎のひとつである明倫堂(ミョンリュンダン)を見学。前庭には大学の校章にもなっている樹齢の古いイチョウの木そびえていた。秋は紅葉の名所となるということだった。


次の予定が迫っていたので、タクシーで移動しようとしたが、なかなか配車アプリでも見つからず、結局バスで移動。JTNアートホールで「ビューティフルライフ」というお芝居を見学する。平凡な夫婦の人生を温かく描いたストーリーで心温まる内容だった。登場する2人の俳優が青年から老年まで、そして他の登場人物を演じていた。日本語字幕付きの回を選んでもらったので、韓国語が分からなくても理解することができた。ただ、アドリブの部分であったり、字幕が追い付かない場面については、Makoだけが笑って観ていた。前回韓国を訪れた際は、NANTA(ナンタ)」のお芝居を観たが、いずれもロングランで上演されているものだ。


その後は、雨が上がり、梨花洞(イファドン)壁画村まで歩いて行き、道行く道の店や家、橋下の壁、階段などに描かれた壁画を眺める。そのまま 駱山(ナクサン)公園へ。韓国ドラマのロケ地としてよく登場する公園で、小高い丘の上に位置しており、夜間はデートスポットとして人気らしい。


大学路(テハンノ)に降りて、おしゃれなバーやカフェを見学。プリクラで家族写真も撮る。相方がサムギョプサルが食べたいというので、Makoが友達と行ったことのあるお店へ。お肉と一緒にもやしのナムルも焼いて食べるスタイルで、ネギキムチやスパークリングの韓国焼酎が美味しかった。Naoはカンジャンシジャンのお店で食べたウナギと同率1位タイの美味しさだと言っていた。


バスでホテルへ戻る。1日雨だったが、もう雨雲は去ったようだ。Makoはホテル戻ってキッチンでシメのラーメン2個を平らげた。

2025年8月12日火曜日

光州(クァンジュ)へ

前夜の洗濯で、乾燥後に「気候同行カード」が発見された。乾燥機の熱で変形しており、一目瞭然で使用不能と思われた。むろんNaoのものである。朝食後に相方と使用できるかどうかを地下鉄まで試しに行くと、奇跡的にゲートを通過できた。一日雨予報だったので、傘をもって光州へ。


地下鉄で龍山(ヨンサン)駅まで移動し、そこからから韓国高速鉄道KTXに乗り換えて、一路光州(クァンジュ)へ。韓国において民主主義を象徴する、いわば「民主主義の聖地」である。龍山(ヨンサン)から光州松汀駅までは2時間。チビたちは爆睡である。


まずは雨の中、光州学生独立運動記念館へ向かう。日本帝国主義の統治の下、植民地政治に血を流しながら抗った若者たちの闘いの歴史が展示されていた。受付を済ませると、学芸員の人が展示を案内してくれた。韓国語はMakoが通訳してくれた。観光で訪れるような場所ではなく、大雨の日だったので、館内にいたのは我々だけだった。学芸員の人は「次はここに行ったらいいですよ」と教えてくれた。


学芸員に勧められるまま、タクシーで、「5.18自由公園」へ。1980年の5.18民主化運動時に、市民を拘留し自白強要のため拷問を加えた場所を移設展示したもので、市民たちが受けた拷問と不当な処罰について展示されていた。電車で、全羅道グルメ店まで移動し、「ポリパッ(麦ご飯定食)」を食べようと思ったが、普通の定食だった。


午後からは、この日のメイン施設である、「5.18民主化運動記念館」へ。1980年5月18日から27日までの10日間、光州で起きた民主主義のための市民抗争を記録した建物で、歴史的現場だった旧光州カトリックセンターに2015年に設立された。2011年にはユネスコの「世界の記憶遺産」にも登録されていた。事前に、映画「タクシードライバー」などを観て、光州事件の予習はしていたが、実際の現場でそれを学ぶと、民主主義とは何か、ということを肌で実感することができた。残念ながら日本では「民主主義」を体系的に学ぶ施設は皆無に等しい。


夕食は、光州のご当地グルメであるヨンミオリタン(鴨スープ)の店へ。アヒルとカモの違いについて論争しながら、人気店へ。ヨンミオリタンは鴨肉を食べやすいサイズに切って酒、コショウ、ニンニク、コチジャン、エゴマ粉で煮込んだもので、スープはトロリとしており、香ばしくて濃厚な味わいだった。光州に着いた際はゲリラ豪雨だったが、次第に雨も弱まり、予定していた学びを完結することができた。満腹の状態で、ソウルに戻るべくKTX光州松汀駅へ。少し目を離したすきに、Makoはラーメン店へ入り、ひとり、おでん入りラーメンをすすっていた。


その夜、部屋の床が水浸しになった。Makoがシャワーを浴びた際、ドアが完全に閉まっておらず、そこから水が漏れだしたのだ。幸いにも、階下には影響がなかったようだ。

2025年8月11日月曜日

DMZ(非武装地帯)ツアー

この日は、朝5時起き。6時にならないと、キッチンの照明が点かないため、暗いキッチンで朝食をとる。6:00過ぎに出発し、待ち合わせ場所の地下鉄降り場まで向かう。DMZ(非武装地帯)行きのツアーバスが何台も並んでおり、最も豪華なバスが予約したツアーのものだった。日本人が3組、残りは外国人のツアーで、バスの前方と後方に分かれて座る。それぞれガイドが付いており、日本語のガイドは、関西で勤めていたという魚(ウォー)さん。「Dragonと呼んでほしい」と言っていたが、誰一人そう呼んではいなかった。外国人ツアー客の遅刻で、7:00出発が10分遅れた。


DMZ(非武装地帯)付近には北朝鮮が韓国に攻め入るために掘ったといわれるトンネルが4つあり、前回、2018年末に訪れたDMZは、ソウルから1時間ほどの「第3トンネル」で、最も観光客が訪れる観光化された場所。そして今回は、高速道路で2時間程のところにある「鉄原第2トンネル」。


1975年に発見された「第2トンネル」は、全長約3.5km、地下50~160m、軍事境界線から南に約1.1kmまで到達しており4本中最大規模で、1時間あたり約3万人の武装兵力を移動可能だという。小型戦車も通過できるらしい。また、韓国軍が発見した際、トンネル内の確認作業を行っていた兵士が8人が亡くなったということで、その慰霊碑も建立されていた。


支給されたヘルメットをかぶり、階段を降りて進入。頭を何度も天井にぶつけながら300mほど進む。地面は地下水で湿り、天井からは水が滴り落ちる。残り300m先が軍事境界線、というところで行き止まりとなっており、最前線には兵士がおり、空気がピリリと引き締まる。撮影は禁止されているが、「兵士の見えない場所だったらいいですよ」というので、写真や動画を回す。トンネルから出て、他のツアーガイドに「動画はダメだ」と注意されたが、注意されただけだった。


バスで、鉄原平和展望台に移動。展望台まではモノレールもあったが、「混んでいる」ということで徒歩で登る。展望台の1階には朝鮮戦争の展示物があり、2階にある展望台からは北朝鮮を眺めることがでる。日本語ガイドの映像を見た後、双眼鏡で宣伝村などを眺める。前回のDMZツアーでは、双眼鏡で人物なども確認できたが、今回は兵士の宿舎のみが荒涼とした雰囲気の中に見ることできた。ガイドの方は「大統領が変わって民主党政権となり、太陽政策が再開されたら、また両国の関係が改善の方向にすすむかもしれない」と言っていた。


バスで、鉄原平和文化広場へ移動。もともとは、DMZ内にあった月井里(ウォルジョンリ)駅が移設展示されている。現在は非武装地帯の南方限界線にある韓国最北端の終着駅となっている。駅舎や朝鮮戦争時に破壊された北朝鮮軍用貨物車が展示されていた。公園には娘の銅像が建てられている。ガイドの話では、娘が病気の父に、井戸水を汲んで千回運ぶと治るということから、千回運んだら逆に娘が亡くなってしまった、という話の銅像であると説明してくれた。Makoは「3回なら運んでいいよ」と言ってくれた。


バスで、北朝鮮労働党官舎の廃屋まで移動。1946年に完成した朝鮮労働党鉄原郡の党舎で、朝鮮戦争の激しい爆撃にも生き残り、鉄筋コンクリートとレンガを組み合わせた3階建ての建物は生き残っていた。戦争の悲惨さを伝える遺構として文化財に指定されているらしい。その隣には、開拓の村のような施設があり、張りぼての薬局や病院などが展示されていた。学校には、日本の植民地時代の教科書、黒板の上には掲示された教育勅語も見ることができた。


昼食は、田舎の長寿食堂で、ガイドのおすすめであるプルコギ、相方はビビンバ、Makoはスンドゥブを注文。すべての野菜は、裏庭で栽培されたものということで、とりわけポテサラが美味しく、おかわりをした。荏胡麻の和え物も美味しかった。


午後からは、漢灘江ジオパークへ。ユネスコ世界ジオパークに認定された漢灘江の自然と地質を体験できるツアーで、柱状・板状の地質などの絶景を眺めながら、峡谷にかけられたスリル満点の道や橋をすすむ。全長は3.6㎞あるが、1㌔地点で折り返して往復2㌔、1時間ほど自然を満喫する。この日は、ガイド曰く、「今日一日で13000歩」歩いた。


バスで2時間かけてソウルに戻る。すでに夕方である。明洞の地下街でMakoの腕時計のベルト交換を行う。Makoが大学生になった時に買った時計である。4000円で交換できた。Naoが「チキンを食べたい」ということで、調べて「新韓国トンタッ 鐘路3号店」へ。昔ながらのチキンで、常連で賑わっていた。店の前では夕涼みか飲み倒れか、おじいさんが2人横たわっていた。チキン3羽、砂肝揚げ、ポテトを注文。ビールとチキンの組み合わせは「チメク」という。4600円で大満足だった。


Makoはライブのチケットを取るということで、夕食後に分かれていったん寮に戻った。チェーンの「メガコーヒー」のお店で、ブラックのアイスコーヒー(韓国では「アメリカーノ」という)を注文、香りがたっていて美味しいく、290円でLLサイズ。Naoはレモネードを注文していたが、どれも日本のそれより甘いのが特徴だ。ホテルへ歩いて戻り、相方は広蔵市場(クァンジャンシジャン)で翌朝の朝食のキンパを購入。300円。いつものコンビニでヨーグルトや炭酸水、トウモロコシ茶も買う。歩き疲れた一日となった。

2025年8月10日日曜日

ソウルタワー

 7時過ぎに起きて、相方、Nao、Mako、自身の順番に洗面所を使う。朝食を食べに一階に降り、共同冷蔵庫に部屋番号を記入しておいたヨーグルトなどを食べる。相方はさっそく、インスタントラーメンを食べていた。ちょうど、釜山からきていた韓国人家族もキッチンで朝食を食べており、キッチンの使い方などを教えてくれた。また、Makoと同世代ほどの娘は日本語も上手に話していた。日本のアニメで覚えたらしい。アニメのちからは偉大である。

地下鉄にのり、先ずは景福宮(キョンボックン)へ。韓国を代表する朝鮮時代の宮殿である。前日に韓服のレンタルを予約しており、Makoと相方はチマチョゴリに着替える。その間、Naoとカフェで待機。韓服を着ていると、景福宮への入場料が無料となるシステムである。10時からは王宮で門の開閉や警備を担っていた「守門軍(スムングン)」の交代の様子を再現した「王宮守門将交代儀式」が行われ、暑い中日傘をさしながらそれを見学。


地下鉄で、安国(アングク)まで移動し、旅行雑誌で調べておいたカンジャンケジャン(ワタリガニのしょうゆ漬け)の有名店でランチ。Naoはウナギ、Makoはビビンバを食べていた。いずれも美味。


食後は、近くの北村韓屋村(プッチョン・ハノンマウル)を散策。日本でいうと京都の「町家」や浅草のような、伝統的な家屋が残るエリアで、坂が多く、日差しも暑い。展望台でカフェで一休み。


その後はバスで徳寿宮​​(トクスグン)へ移動。韓国のバスの運転はかなり荒く、ひと時も気を緩めることはできない。ちなみに、待ちゆく普通車のガラスは、基本フルスモークである。日本では違法となるので見ることはない。スモークフィルムを自身で貼ったと思われる車も見受けられた。また、車のドアには青いスポンジ状のパーツが付いている車が多い。人口集中度の高いソウルでは、駐車場の面積も狭く、車のドアの開閉時に、隣の車にぶつかってしまうことも多々あるのだろう。


徳寿宮(トクスグン)は、王宮の離宮として使われていた場所。石造の宮殿もあり、外国の使節と接見した際に使われていたらしい。何かの撮影のために、中に入ることはできなかった。


隣のソウル支庁で休憩。夕食の予定だった明洞の冷麺店は日曜定休だったので、平壌麺屋の店を探す。バスに乗って東大門(トンデムン)まで移動。平壌麺屋(ピョンヤンミョンノク)の店へ。有名店ということもあり、帰るころには行列ができていた。冷麺と水餃子を注文。水キムチも美味しかった。



食後、Naoは一人でwifi持って散歩に出かけ、Makoは寮に戻って翌日のDMZツアーの必要資料を印刷し、残された2人は、東大門デザインプラザ(DDP)で休憩。休憩スペースにビーズソファが並んでおり、そこの横たわって英気を養う。Makoは「DDPには何にもないよ」と言っていたが、テナントやお店など様々あり、見学する。


無事に待ち合わせをして、バスを乗り継ぎ、ソウルタワーへ。ドラマでは確実に登場するソウルのシンボルで、観光客で賑わっていた。チケットを買って、エレベーターに乗るのに20分程待つ。そしてMakoは蚊にさされる。上昇するエレベーター内も、スクリーンで綺麗な案内がされ、展望台からは漢江に架かる橋、車列、夜景の街並みが綺麗に望むことができた。下りのエレベーターに乗り込むのにも20程待たされた。バス乗り継ぎホテルへ戻り、2日目終了。乾燥機は深夜の1:30に完了。

2025年8月9日土曜日

ソウル旅行

 夏休みの最大イベントであるソウル旅行出発の日。7時に家を出発し、空港へ到着。パスポートチェックインまではまだ時間があったので、先にポケットWIFIのレンタルを行う。パスポートチェックインという仕組みでチェックインするのは初めてだったが、6年前(2019年)に海外旅行に行った時から、一気に便利になった感じである。3時間程で一気に韓国へ。昼時間に乗ったので、Naoは空港で購入したおにぎり2個を昼食として食べる。購入したわかさいもも食べる。

仁川国際空港まではMakoが迎えに来てくれていた。韓国旅行に来ていたMakoの友達との入れ替えで空港へ到着する。4カ月ぶりのMakoは、友達との韓国旅行に引き続きなので元気いっぱいである。空港のコンビニで交通系カードであるtmoneyに2000円チャージしてくれた。鉄道に乗ってソウルに向かう。気温は30度程度で、東京より涼しく、北海道よりも暑い感じだ。ただ湿度が高くないので過ごしやすく、植生も北海道と同じなので、街並みをながめた感じは、異国に来た感じは全くしない。


地下鉄に乗り継いでホテルへ到着。チェックインもすべて機械で行い、3Fの301号室へ。ダブルベットの二段ベットで狭いが、部屋は小ぎれいで、MakoとNaoはベットの上段で仲良く寝ることになった。シャワーと洗面とトイレが別にあるが、シャワー水を浴びると、便器を直撃するスタイルで、便座がシャワーの度に清潔に保たれる。


ホテルからMakoの大学の寮までは、歩いて15分。余計な荷物を置いてくるというので、みんなで歩いて向かう。大学のE棟の寮で、夏休みが明けたらまた別の寮に引っ越しとなるらしい。


夕食は、ホテルから徒歩5分程の広蔵市場(カンジャンシジャン)へ。歴史のある、屋根付きの市場で、観光客向けに、様々な屋台やお店が並んでいた。旅行雑誌で事前に調べていたお店に行き、ピンデトク(緑豆の生地に肉や野菜などを入れて揚げ焼きしたもの)を注文、Cass(韓国のビール)で乾杯。注文したピンデトク3枚を平らげて次の店へ。


有名はトッポッキの店は閉まっており、ユッケの店は大行列。市場を行き来して食べ歩きもし、キンパとトッポッキの店に入り、おでんやスンデも注文。初日から色々とグルメを堪能する。ホテルに帰る途中のコンビニに寄って、翌日の朝食(ヨーグルトや飲み物)と、気候同行カード(ソウル市内の公共交通機関の乗り放題のカード)を購入する。7日間のチャージで2000円、1日300円弱で乗り放題になるのでかなりお得である。


ホテルの共同キッチンには、一通りのキッチン道具の他、インスタントラーメン調理器も常備されていた。アルミトレーと食べ放題のラーメン4種が置いてあり、さっそくNaoはラーメンを作って食べていた。



洗濯機は2階と1階にあり、2階の洗濯機を使うが、乾燥機の使い方が分からず、乾燥だけ1階のキッチンにある洗濯乾燥機で行う。乾燥には3時間程かかるので、夜中に起きて洗濯物を回収する。翌日からは本格的なソウル旅行スタートである。

2025年8月6日水曜日

帰省

 昨日Naoが帰省した。夕方まで都心部での出張を終え、相方と地下街のワールドカレンシーショップで待ち合わせ。3万円弱をウォンに換金する。その足で空港まで向かう。Naoは前期の成績が発表される日で、成績の如何によっては補講の事務手続きをしてからの帰省が必要だが、前期の成績通知がされず、結局飛行機の時間が迫ってきて、成績を確認できずに搭乗した。

飛行機は30分遅延して到着。連休以来2カ月ぶりの再会で、夕食はNaoの希望で焼き肉店へ。最初に向かった店は満席のため、スマホで次の候補を見つける。久々のまともな食事を堪能していた。

そして、翌日の今日、成績が確認されて、なんとか補習を免れることができたようだ。夕食はNaoのリクエストでウナギをたべる。