引越しの最終日。午前中は町田の駅ナカで内祝いの品を選ぶ。結局のところ、北海道に勝るお菓子はないのだが、地元の銘菓を選んで発送してもらう。Naoと一緒に相模大野の駅で昼食をと思ったが、どの店もよくあるチェーン店ばかりで、結局Naoが選んだ商店街のカフェに行く。Naoはバターチキンカレーを選んでいたが、運ばれてきたカレーを見て「ちいさ」とつぶやき、2分も経たないうちに食べきっていた。それでもフランスパンを使ったカリふわのフレンチトーストを美味しく食べていた。
アパートから徒歩5分程のところに市役所があり、転入の手続きを行うために向かうが、3時間待ちということで、いったん戻って出直すことに。その間、冷蔵庫や洗濯機が無事に届き、セッティングを終えて、あわただしい中、引越し作業が無事完了した。
「そろそろバスの時間だから帰るね」と相方が言うと、Naoは「ん」と答える。「また、連休に来るから、それまでは部屋をきれいにしておくように」と告げると、「5月の頭に来るんだね」と言う。「じゃあね」と、玄関先で別れる際、こちらを見てメガネの奥からチラリと視線をおくる。いつも、少し照れた時にする仕草で、小学校の頃に学校に行くとき、家から公園の端まで見送った際に、いつも見せていたあの顔だった。身体は少しは大きくなったが、見せる表情は相変わらず小さなNaoのままだった。商店街の通りから見える大きな公園には、寒空の中、満開の桜が風に揺れていた。
空港のラウンジでコーヒーを飲みながら、相方は「寂しくて泣きそうだね」と言う。「そうだね」と返す。上空の機内からは、雲海に沈む夕日が切ないほど綺麗だった。
Naoも家を出ていった。チビたちがそれなりに成長し、それぞれの道をすすんでいくのだろう。そしてこれからまた、相方との2人だけの生活が始まる。
2004年にMakoが生まれ、2006年にNaoが生まれ、それからは生き急ぐように走り抜けた毎日だった。チビたちが中学校に上がるまでは、休みの日は連れ立って出かけては、少しでも一緒の時間を過ごし、共にいろいろな経験を積むということに必死だった。チビたちが中学校に上がり、部活動などで忙しくなった中でも、例えば休みの日にご飯を食べに出かけたり、サッカーの観戦に行ったり、また夏休みや冬休みに予定をたてて遠出したり、そんなことが当たり前だった生活が、また変わろうとしている。
最近よく、思い出すことがある。2000年に結婚してMakoが生まれるまでの4年間のことだ。相方と2人、海岸沿いの田舎町に住んでいた。冬は地吹雪がひどく、どこに出かけるのにも時間がかかり、かび臭く狭い住宅だったが、慎ましくも心豊かに過ごしていた。夏の砂浜や、桜が咲く公園にお弁当をもって出かけたり、車にキャンプ道具を積んで旅行したり、賃金支給日には少し贅沢をしたり、週末に近所の温泉に出かけたり。なんだか幸せな日々だったのではないかと振り返る。
Makoが生まれ、Naoが生まれ、それから今日までの時間は、自分たちの人生の中で、まぎれもない黄金時代だった。それはもう二度と訪れない時間で、これから切なく思い出すことになる時間で、これからも生きていくための礎となる時間でもある。20年という月日が流れ、それなりに年老いたのかもしれないが、でも気力も体力も、それほど衰えたという自覚もない。
子どもたちの巣だった自宅は、ガランと広く感じた。あまりに静かで、部屋の隅の深くに吸い込まれそうにもなる。
風が強く吹いているが、雪はすっかりと融けてしまった。畑の土が顔を出し、ツツジやライラックも芽吹いてきた。タイヤも交換しないといけないし、ウッドデッキの防雪ネットも外さないといけないし、暑くなる前には窓枠のペンキ塗りも行わないといけない。春を迎える準備が待っている。
隣の公園の桜は、今年は早く咲きそうだ。連休には、ウッドデッキでバーベキューコンロを囲み、2人でお花見も悪くない。
子どもは 「谷川俊太郎」
このような屈託の時代にあっても
あらゆる恐怖のただなかにさえ
いかなる神をも信ぜぬままに
生きる理由死を賭す理由
石の腕の中ですら