2025年1月18日土曜日

移動する存在

往路でかなりの船酔いをした相方は、ドラッグストアで酔い止めの薬を複数購入し、服用していた効果なのか、今回は元気に過ごすことができた。狭い3畳のスペースの中、朝食を食べ、ごろごろし、昼食を食べ、ごろごろし、お風呂に入り、夕食を食べと、収容所での生活を過ごす。夕方、津軽海峡を越えてからは太平洋となり、噴火湾に入ると船は揺れなくなった。21時過ぎに苫小牧港へ無事に到着。車を走らせて1時間、自宅に到着。少しだけ雪が積もっていたが、ルーフキャリアの荷物だけ降ろしてようやく引っ越しが完了した。来月にはMakoの引っ越し、3月にはNaoの引っ越しもある、そして来春には韓国から戻ってくるMakoの引っ越しと立て続けだ。転勤族だったので引っ越しは慣れてはいる。旅行も同様であるが、移動することで新たな発見をし、成長していくことを考えると、人間は移動する存在なのだと実感する。

2025年1月17日金曜日

彦根城

 7:30といつもより遅めに起床。今日から仕事がスタートとなるが、お休みをとっている。Naoも登校日だが学校を休む。朝食後、Makoの家へ行き、すぐに荷物の積み込みを開始。乱雑に積んだ荷物を積みなおし、布団とタンスを車の上のルーフキャリアに乗せ、バンドでしっかりと固定する。ブルーシートをかぶせて完成。その後、Makoのいらない服を処分すべく、近くのリサイクルショップへ向かう。持参した服は半分ほど売れて、総額90円。その他、我が家のトイレ工事で付属されていた電気ヒーターは1500円。亡くなった祖母が使っていた加湿器は1000円だった。自転車も売ろうとしたが、防犯登録の関係で先延ばしとなった。


その後、Makoを拾い、Makoのバイトする中華料理店の系列ラーメン店へ。客のほとんどは金閣寺への観光客で、券売機でそれぞれ違う4種類のラーメンを注文。Makoはこの店でもバイトをしており、まかないで食べる際は、麺を1.5倍にしてもらうそうだ。食後に金閣寺を拝観し、和スイーツを食べて、Makoとはしばしお別れ。


荷物を積んだ車で隣県へ移動し、琵琶湖畔の彦根城へ。時間つぶしの観光である。1日3回しか現れないというひこにゃんにも会うことができたが、天守閣は工事のために入ることはできなかった。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の生家や庭も見学する。もう少し時間があれば関ヶ原の合戦の地にも足を伸ばしたかったが、断念。琵琶湖畔を通り90分で福井県の敦賀へ。


敦賀駅近くの駅前のデパートでフェリーでの3食の食事を買いだめし、お土産コーナーでご当地スイーツの羽二重餅と、へしこ(鯖の糠漬け)を購入する。その後は隣のガストで夕食。遅くまで営業しているファミレスは重宝する。夕食時は比較的空いていたが、21時を過ぎると多くの学生で賑わっていた。3時間ほどドリンクバーで時間をつぶし。23時にフェリーターミナルへ行く。フェリーへの乗り込みは0:45。往路と比べるとまだましである。無事に車もフェリーに乗り込み、北海道へ帰ることができた。

2025年1月16日木曜日

千本釈迦堂とおかめ

塩素臭いホテルにて7:30に朝食を済ませ、Makoの部屋へ向かう。午前中は荷物の整理と片付け、部屋が狭いのでまとまった荷物からとりあえず駐車している車のトランクへと荷物を運び入れる。あっという間に時間が過ぎていき、11:30にMakoを大学付近まで迎えに行き、北野天満宮入り口の店へ。当初は「精進料理」を体験したかったが、チビたちの猛反対にあい、「おばんざい」の店へ変更。いくつか調べたが連絡がつかなかったりと、最終的には「豆腐」の店へ妥協。それでも調べておいた店は電話連絡をしてもつながらず、結局Makoを車で待っている間によさそうな店を探していくことになった。


北野天満宮の駐車場へ車を停め、狭い店内へ。中学生の修学旅行生も来ていた。相方は湯豆腐定食、自身は湯葉あんかけそば。Naoは鍋焼きうどん、Makoもうどんの定食を注文していた。嵐山で豆腐料理を食べた時と同様、京都観光の思い出作りである。


Makoを大学に送り届け、部屋へ戻って荷物整理と掃除。15時にはすべての作業が終了した。Makoとの待ち合わせにはまだ時間があったので、近場の観光ということで、歩いて行ける観光地を検索し、千本釈迦堂へ向かう。北野天満宮から数分歩いたところにある千本釈迦堂、多くの国宝や重要文化財が展示されていたが、とりわけ「おかめ塚」に興味が向く。大工工事で失敗した夫を助けたが、「夫の名声に傷がつく」と、自害したというおかめ。当時の時代を思うとなんとも悲しい内助の功である。


北野天満宮にもよって一応参拝する。翌日から大学入学共通テストが始まるということで、多くの高校生が訪れており、溢れんばかりの絵馬を見学。子どもたちの書初めも展示されており、「焼肉」と書かれたものが秀逸だった。豆腐スイーツの店で豆腐パフェやぜんざい、ホット豆乳で温まり、Makoを迎えにいき、「肉が食べたい」ということなので、夕食はホテル近くの韓国料理店へ向かう。サムギョプサルを焼き、チャンジャ、ナムル、イカフェ(イカのピリ辛和え)、スンドゥブや石焼ビビンバ、誕生日の近い相方のためにわかめスープも注文。こじゃれた素敵な店だった。

2025年1月15日水曜日

天の橋立

7:30に目が覚める。フェリーとは違い、揺れずにぐっすりと眠ることができた。Naoを誘って温泉へでかける。外は曇天で、露天風呂の葦簀の天井から雨がポタポタと降り注いでいた。屋外にはプールも設置されており、リゾートシーズンには賑わいそうだ。部屋の窓からも天の橋立を望むことができた。前日にコンビニで買った朝食を食べ、9:30にチェックアウト。滞在8時間半の豪華リゾートホテルだった。


30分車で移動し、天の橋立のふもとにある智恩寺へ。三人寄れば文殊の智恵”で知られる文殊菩薩がご本尊だという。お参りをして小雨の中、モノレール乗り場へ。しかしモノレールは点検修理中のため、雨の中リフトに乗車。傘をさしながら6分で山頂に到着した。小学校の頃に一度来た風景を思い出す。一応、恒例のまた覗きをしている様子をそれぞれ写真撮影し、記念の瓦投げ。3枚のうち、2枚を投げたNaoは見事、輪の中を通過したが、Makoの投げた一投は地面に叩きつけられた。土産店で天の橋立マグネットをゲットして後にする。


高速道路で京都市内に向かう途中、道の駅京丹波で昼食。相方は豆づくし御膳、Makoは丹波牛のステーキ丼、Naoは天丼の定食などをセレクト。とりわけ丹波の黒豆の入ったご飯や天ぷらが美味しかった。物産展でお土産も購入。京都市内に入り、大学付近でMakoを降ろして、Makoの部屋の下見をしてホテルへ。消毒体制万全の塩素臭い部屋だった。備え付けの洗濯機を回し、歩いて30分Makoの家で待ち合わせし、Makoのバイト先である中華料理店で夕食。オーナーは、「入った時からは大きく変わり、今は大きな戦力になっている」ということを話してくれた。Makoのおすすめメニューを網羅し、大満足。タクシーでホテルへ戻って就寝。

2025年1月14日火曜日

船酔い

 夜中の3時に寝たのに、7:30には目が覚める。船が大きく揺れていたので、寝たり起きたりしていた。Naoも起きたので一緒に朝風呂へ。この時期のフェリー客は少なく、お風呂は貸し切り状態。台風並みの強風としら波のたつ中、露天風呂はタオルが吹き飛ぶほどの強風だった。サウナも入る。


朝食はおにぎりやパンなど前日に購入したものを食べる。とりわけ豆がたくさん入ったサラダが美味しかった。朝食後は、MakoとNaoと3人で船内探索、スポーツジム、卓球、映画スペースなどお決まりの施設である。午前中はごろごろ寝て過ごし、お昼はカップ麺。お母さんは船酔いでダウンし、その後も横になったままだった。


ベッドに寝ていると船酔いしそうだったので、ソファースペースに移動し、タブレットで ダウンロード済みの映画2本をきっかりと鑑賞。Naoはフェリー対策と持ち込んだ本を広げ、読書。Makoは試験対策の勉強をしていた。夕方、2回目のお風呂へ向かう。船が揺れる度に湯舟からお湯が溢れていた。夕食はフェリー内のレストランへ向かい、Makoはカレー、Naoはザンギ単品を注文。予定通り23時過ぎに敦賀港へ到着した。


当初の予定では舞鶴港に到着し、ホテルまで30分程という計画だったが、敦賀港から予約した舞鶴のホテルまでは2時間かかる。原発街道の高速道路をとばし、舞鶴のコンビニで翌朝の朝食を購入し、鹿3頭にぶつかりそうになりながらも、天の橋立のリゾートホテルへ到着した。深夜1時過ぎ、真っ暗ではあったが、たぶん立派なホテルの感じだ。相方はようやく船酔いから回復し、フェリーではほとんど食事を口にしていなかったので「お腹がすいた」と翌朝用のおにぎりをほおばっていた。着替えてバタンキュー。

2025年1月13日月曜日

ドリンクバー

 朝の10時にフェリー会社からメール連絡が入り「欠航はしないが出発も到着も3時間の遅延」との連絡があった。早速予約していたホテルへ電話連絡し、チェックイン時刻が大幅に遅れる旨を連絡。昼食はスーパーで買ってきたカップ麺やカップ焼きそば(Naoは2倍の分量のもの)を食べて昼食とする。


フェリー港までは1時間ぐらいで着くので午後6時頃出発と予定し、高校サッカー決勝の様子をテレビ観戦。最後はPK戦までもつれ大いに盛り上がる。Naoの家電やWIFI契約を行うために家電量販店を見に行こうと、1時間早く午後5時に出発。車で1時間で苫小牧の家電量販店に到着した。一人暮らし3点セット(冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ)と光WiFiを同時に契約するとお得言うことで、それを見繕う。


その後は、大型ショッピングセンター内のサイゼリヤで夕食。Makoが大好きな小エビのサラダは残念ながら品切れだった。Makoのバイト先にお土産を購入し、フェリー内で食べる朝食のパンやおにぎり、昼食用のカップ麺などを購入する。フェリー乗り場までは24時30まで行けばよいということで、近くのファミレスのドリンクバーで時間潰し。日付が回る頃にフェリーターミナルに到着。フェリーへの乗り込みは深夜の1時、車の乗り込みは2時過ぎということで、まだ出発もしていないのにすでにゲンナリとなる。結局フェリーに乗り込み、就寝する頃は3時近くになっていた。makoはお母さんとお風呂に入っていたが、Naoは就寝していた。発達した低気圧の関係で、太平洋から津軽海峡を渡り、日本海にでると船は大きく揺れた。

2025年1月10日金曜日

冬のフェリー

 Makoが町内で開催される「二十歳の集い」に参加するため、5日ぶりに帰省。「集い」が終わったら、引っ越しの準備のため、みんなで一緒にフェリーで京都に向かう予定だ。ただそのフェリー、数日前に「機関点検に伴う欠航」のメール連絡が入り、メールの文面だけでは対処の方法がわからずすぐにフェリー会社に電話する。苫小牧から舞鶴に予約していた便は欠航となり、苫小牧から敦賀への運航はあるということなので、そちらに切り替える手続きを行う。当初の予定では舞鶴到着は21時を過ぎる予定だったので、その日の宿は舞鶴で予約していた。敦賀から舞鶴までは高速道路をとばしても2時間弱かかってしまうが、まぁ仕方がない。帰りにフェリー便も船舶が変更となったので、電話で手続きを行い、差額の支払いなどをWEB上で行って、なんとか京都への足を確保する。


そして3連休に入ったが、10日~11日にかけて、「日本海を中心に警報級の大雪の恐れ、各地で交通に乱れ」との状況になり、フェリーも相次いで欠航となった。乗船は13日だが、10日から12日まではすべて欠航。天候が回復するのを祈るしかない。前回フェリーに乗船したのは3月末~4月だったので、冬のフェリーの不確定さを思い知る。

2025年1月5日日曜日

空弁

 本州の冬休み明けは早い。Makoは学校や学年末の試験のために一時帰省。お昼の飛行機なので、みんなで空港に送りに行く。Makoは空弁で豚肉が敷き詰められたお弁当を選択していた。保安検査場を無事に切り抜けたところまで確認し、空港近くの「かつや」で豚カツランチ。無印良品で枕カバーを慎重に選び、スーパーダイイチでおはぎをゲットし帰宅する。Makoは家に着いてから空弁を食べたようだった。

2025年1月1日水曜日

2025元旦

 2025年を迎える。おせち料理とお雑煮を頂き、都心部へ向かう。元旦の午前中の高速道路はいつもガラガラだ。「お正月ぐらいお店を休めばいいのに」と言いつつも、初売りに参戦してしまう。大型ショッピングセンターには多くの買い物客でにぎわっており、昼近くのフードコートは席の確保が困難な状況。結局韓国料理店に入って、昼食。その後はMakoはお母さんと一緒に服を買い、Naoは一人で本屋を中心にうろつき、思い思いにショッピングを楽しむ。


夕方になり、買い物もひと段落し、おじいちゃんの家に向かう。Makoから「夕食は何?」と聞かれたが、そういえば確認をしていなかったことに気が付く。そして夕食は2日連続のすき焼きと判明。夕食時、我が家のチビたちに「いつぶりのすき焼き?」と尋ねると、2人ともきちんと答えを濁していた。それなりに様々な方面に忖度できるまで成長したともいえる。